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長い…長い病院生活 第21部 ~5ヶ月振りの故郷・大阪~
2006年11月下旬。

冬もすぐそこまで…。
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空の大爆発!
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とても見え辛いが富士山。
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夕暮れに交差する飛行機雲…。
そして光る…。

1ヶ月ぐらい前から担当の先生曰く傷も良くなって来てそろそろ退院を考えてもいいのでは? との話が持ち上がっていた。
しかし傷口に関しては完全に治っている訳では無い上に不安定、しかも入浴禁止。
恥ずかしながら私の家はかなり古い家でして弟等もいまして衛生面では病院と比べるに値しない。
流石にこの状態で退院して傷が感染するとひとたまりも無くあっと言う間に周りは壊死してしまう。
そう言う理由で両親は退院否定派。
私は傷が安定すれば退院可能派。
先生は感染の可能性は極めて低い、大丈夫! の退院賛成派。
そして有り難い事に先生はいつまでもいてくれてもいいと言ってくれている。
病院側はそうでもないだろうが…。

何よりこの大事故で両親には多大なる迷惑を掛けてしまった…。
きっとそんな想いの息子に両親は、
「親に対する恩等無用」
だと言って突っ撥ねるだろう。
そしていくら感謝してもまだこの体では嫌が応にも両親には迷惑を掛けてしまうだろう。
ならば責めて両親が納得する状態になるまで退院の事は私から口にしないでおこうと決めた。

そして1ヶ月経ち26日。
到頭大阪に帰れる日が!
と言っても3泊4日の外泊ですが…。
でもこれは先の退院を視野に入れた試験外泊。
前の晩は久々の我が家と言うだけで何故か興奮し嬉しくて寝られなかった。
自分の辞書にホームシックと言う単語は無いと思っていたが少しはあったようだ。
そして親父と妹が迎えに来てくれた。
妹は完全に親父にお強請りが目的だろうが、まあ小学生なので仕方が無い…?
静岡から新大阪は新幹線「ひかり」で2時間掛からないくらい。
読書也昼寝をしているとあっと言う間。
兎に角速い!

残念ながら大阪に着くと雨で何も出来なかった(この状態で何かをする訳にも…)ので早速我が家へ。
やっぱり5ヶ月そこらで何も変わらない。
しかし家の前には5~6袋のパンパンのビニール袋が。
曰く昨日私が帰って来ると言う事で家族で家を掃除したのだとか。
「(へぇ〜この量のゴミや。大分綺麗になっとるんやろな〜)」
と我が机に向かうと机の上には大量の物が…。
「いや〜これでも片付いた方よ?」
と弟。
「どんだけ荒れててん! こんなこっちゃろうと思てたわ〜。ここら辺の掃除、俺しかせえへんもんなぁ」
やっぱり我が家は5ヶ月経とうと微塵の変化も無かった様で…。
「(こりゃ帰って来たら大掃除からやな…。流石にこの外泊中にする気せえへんわ。ゆっくりしたい…)」
と、この日はおでん♪
病院の食事だけでは満腹にならなかったこの腹を久々に満腹にし家族としゃべり就寝。

次の日の27日。
朝から親父と2人で電車に乗り阪大病院へ。
そして脚の具合を診てもらう。
今回外泊した第1の目的はこれ『セカンドオピニオン(第2の意見)』。
静岡の先生の意見に反対では決して無い、寧ろ君の体力・気力・状態なら大丈夫と言ってくれるのは大いに有り難いし安心。
しかし両親からすればやはりもしもの万が一の事を考えてしまう。
そこで担当医以外の全く関係無い医者の意見『セカンドオピニオン(第2の意見)』を伺おうと決断し大阪へ。

しかし受付当初から、
「担当医の紹介状はお持ちで?」
「当院は事故に関する相手方への請求は出来ません(大袈裟に言えば大学病院なので研究の為に医療をする)」
「では、あちらの受付で」
「では、こちらの受付で」
「では、そちらの受付で」
等と承知している事、用紙を見れば分かる事を何度も聞かれ答え。
挙げ句にいくつもの受付を盥回しにされる。
これもでれも『セカンドオピニオン(第2の意見)』の一言で…。

でやっと医者に診てもらう事に、
「あの今回は紹介状も無いんですが『セカンドオピニオン(第2の意見)』として意見を伺いに来ました」
の一言でまだ傷を見ても無いのに
「それは分かりかねますな〜」
「いえね、診断書が無いと何とも言えませんわ」
場違い的な発言しか返ってこない…。
到頭こっちも苛立ち、服を脱ぎ傷を見せ、
「紹介状・診断書も無いの承知で来たんや! 第3者の意見を訊きに。取り合えず診て下さい!!(んで己の意見言えゆうとんねん!!!)」
と押し切る形で診て貰い、退院の事等も訊くと。
「この傷では入院する必要は必ずしも無いとは思いますね〜」
「でも週に何度かは医者に診て貰った方が…」
等とはっきりしない答えばかり。
挙げ句一言一言の最後には必ず、
「当院ではそれ(事故に関するので転院)は受け入れられませんが」
の一言。
全く呆れ返る…。

受付も医者も承知している事を何度も聞いて来る。
それはきっと確認しなくてはいけない事なのだろうがここまで何度も確認されると…苛つきもする。
そして確かに診断書無しで意見を伺うと言うのは難しいのだろう。
でもこちらはパッと見でいいので素人ではない医者の意見が聞きたいのに、医者は何を恐れてかはっきりした意見は言ってくれない…。
きっと自分の発言が後々色々な場に出て来るのが恐ろしいのだろう(「言った事と違うやないか! どないなっとんねん!! どおしてくれんねん!!?」等)。
こっちは全くその気は無いのに…。
ただ単に後押しする意見が訊きたいだけなのに…。
所詮『セカンドオピニオン(第2の意見)』はアメリカで出来た言葉。
いくら日本の病院の看板に『セカンドオピニオン(第2の意見)』を掲げていても本で読む様な歯切れのいい言葉は返って来ない…。
やはり医者も100%の事は言えないのだ…。
もちろんこちらも100%は期待してはいなかったが、まさかここまで有耶無耶にされるとは…。
でもまあ最悪の知らせは無かった。
それだけ傷もいい具合なのだろう。
そう解釈しないと態々大阪まで返って来た意味が無くなってしまう…。

次の28日。
この日は親父と親父方のおばあちゃんと伯父さんと術後の経過を報告すべく顔を見せる事に。
梅田で待ち合わせしおばあちゃんは心配しつつも私の元気そうな顔を見て喜んでくれた。
そして肉を付けるためとステーキ屋へ(安直な…)。
そので¥2000もするサーロインステーキを!!
「(おいおい、高いな〜。こんなん食べた事ないで…)」
と初めての分厚いステーキにかぶりつく。
すると伯父さんが、
「もうバイクなんか乗ったアカンで! なんでいきなりあんな大きなバイク買ったんや!?」
とお叱りを…。
でもこればかりは譲りたく無い。
どうしてもまた跨がりたいと思っている。
でも伯父さんが心配で言ってくれているのは重々承知…。
でも嘘はつきたく無いのか、
「この5ヶ月の間動けん体で、ベッドの上で色々考えて来たよ…」
と言ってしまった…。
「アカンアカン!! お前みたいな未熟者は」
そこで以外にも親父が、
「そうやって上から押さえつける様に物言うなや」
と反論。
でもしかしと伯父さんも反論。
瞬く間に口論に…。
昔の兄弟事を引きずり出し店で大喧嘩!
親父も酒が入っていて舌巻きながらの質の悪い大阪弁…。
止めるにも私が原因なのでどう止めていいやら困っていると。
「絶対バイクなんてアカン!」
と伯父さん、そこで到頭親父がキレた…。
「コイツは周りがどんな反対しようと自分の思てる事は実行しよる! 俺も昔押さえつけたけどアカンかった。俺等もそうやろが!? したい事して来て今ここにおんのちゃうんか!? それをまだ20歳の子供に自分の過去棚に上げて無闇矢鱈に押し付けんな!!」
…何も言えなかった。
そして今まで黙っていたおばあちゃんが口を開いた…。
「もうええ…。1番辛いのはこの子や。この子もよお考えてる、よお頑張ってる。しっかりした子や」
と優しく言ってくれた…。
恥ずかしながら店の中で私は泣いてしまった…。
「そんな責めたらアカン。傷も全部この子が背負わなアカンねや。辛い事や…。責めたらアカン…」
私は涙が止まらなかった…。
いつまでも泣いていた…。
日頃責められるのは慣れ耐えていた。
我慢すれば欲しい事象が手に入る。
責められるのも覚悟の上でハーレーも手に入れた。
でも庇われるとどうしても迷惑を掛けた・心配させたと言った相手に対する自分の気持ちが見えてしまい、申し訳ない気持ちが一気に膨らんでぐちゃぐちゃになって泣いてしまう…。
心の中で子供の様に、
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」
とひたすら謝り泣いていた…。
きっと両親も私が弱いのを知ってて今まで責めも庇もしなかったのだと思う。
(実はこれを書いている今もちょっと泣いてます…)
最後におばあちゃんも伯父さんも、
「頑張ってな! でも無理したアカンで!!」
と励ましてくれました。
「ありがとう」

後は家でのんびり過ごしながら色々な事を話した。
結局は両親はまだまだ退院はさしたくないとの事。
でもいつまでも入院と言う訳にはいかん。
退院も視野に考えていこうと言う結論。
私は最初からどう言う結果でも従うと決めていたので依存は無し。
ただ出来得る限り早く治す様今まで以上に心掛ける事!

そして29日。
静岡に帰る日。
親父が新大阪の駅まで見送りに。
そして何やら小包を渡された。
「電車の中で食べる様に母ちゃんが買って行けて。気ぃ付けてな」
「うん」
と改札を抜け新幹線のホームへ。
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そして出発…。
暗闇の中もの凄いスピードで走って行く。
「2時間かぁ…。近いようで、やっぱ遠いなぁ」
腹も減り小包を開けてみると…。
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柿の葉寿司♪
鯖と鮭の2種類!
これがまた美味い!
酸味が効いてて鯖もいいし鮭もいい。
私の好物です♪
そしてもう1つ…。
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御座候〜♪
回転焼き、これも大好物ですね!
どら焼きよりもこっちがいい。
これを1つ廻り弟達と喧嘩した事も…。
「(やっぱ中身は黒餡でしょ〜。でも親父が買ったんやから多分…)」
ありました白餡…。
子供の頃からいまいち良さが分からず黒餡派でしたが…。
「(…アレ? 熱いお茶と一緒やったらイケるがな…)」
ちょっとは私もおっさん臭くなったのか?
「でも美味いからええわ♪」

今日の航路:なし
今日の走行距離:0km
by mr_bigman | 2006-12-22 23:43 | Mr.BIGMAN's
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いろいろあったもので…。
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